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2002年の初夏、初めてNYを訪れた。30代半ばで、何もかもが行き詰っていた時、学生時代からの仲間で『幸福な夢』を書かせてくれたKが急逝した…… その一年後のことだ。なけなしの資金をはたいて、ヤケッパチの旅だった。

目的はブロードウェイで芝居を観ること、美術館やギャラリーを巡ること。そしてもう一つ、ワールドトレードセンターが倒壊した跡地:グラウンド・ゼロをこの目で見たかった。

最寄駅から土埃に導かれるように進み、現れたのは瓦礫が除かれたあとの、ほんとうに何もない、土だけの広い場所だった。その場所を取り囲むように、手作りの十字架、写真やメッセージを記した札があちこちに並んでいた。遠く低い地響きとうねるような風の音、そこに姿のない人々の声が交じり合っているように感じた。いや、たしかに聴こえた。私はそこに立ち尽くして、『幸福な夢』を再演したいと考えていた。そうして、2004年に再演が叶ったけれど、それからまた12年も経ってしまった。(中略)

私が戯曲に書けることは、ほんとうに限られていますが、あの日、グラウンド・ゼロが語りかけてきたものの何万分の一くらいは、なにかを届けたい… そう思いながらこの芝居をつくりました。

(2016.11月『幸福な夢』パンフレットより)

旗揚げ公演から3か月が経った今、次回公演に向けて準備をする日々を、しみじみ幸せと思う。

活動を再開するために動き出すと決めた2015年の春、真木野透子からワークショップに通っていると聞き、驚きとともに胸が高鳴った。そうしてちょうど一年前、二人で日日刻々を結成した。彼女の決意と励ましがなければ、旗揚げ公演はもう少し先になっていただろうと思う。

 

演劇から離れざるを得なかった12年間は、ほんとうに苦しかった。もう一度そこに近づきたいと、もがけばもがくほど遠ざかり、より多くのものを失っていくような日々…。 けれども今、その苦しみを通過したことで、新たな視点と新たな言葉を獲得したと感じている。

そして、社会から取り残され、どんどん孤立していくようだった長い時間を経て、今、世界のあらゆる場所で起こっているすべては、私たちの日常と密接に繋がっているのだと感じる。それがどう繋がっているかを知るために、日々を大切に生き、刻々と進むその時をしっかりと見つめなくてはならないと思う。

書きたいことも、書くべきことも、すべてはその日々のなかにある… そんな思いから、新しい芝居づくりの場に「日日刻々」という名をつけた。

たとえば、舞台を観ながら「私はあそこにいてもおかしくない」「あそこにいるのは私だ…」と感じるような、たとえば、見終わった後、それまで考えたこともなかったことを考えてしまうような、なんだかわけがわからないけれど気持ちを揺さぶられ、モヤモヤしてしまうような、そんな芝居をつくりたいと思っている。

 

2017年立春 いしざわみな